イエスの信者、良いたよりを広める

聖霊の賜物

イエスが復活してから弟子たちの前に現れていた40日の間、約束された聖霊の賜物を受け取るまでエルサレムを離れないように彼らに告げていました。 (ヨハネによる福音書14:16)使徒言行録の第2章に、まさにそれを行っていたイエスの信者の物語がありました。彼らが皆で集っていると、突然、強烈な轟音が響きました。まるで、集まっていた家を激しい風が吹き抜けるような音でした。彼らは一人一人の上に炎のようなものを見ました!その時点で、彼らは皆聖霊に満たされていました。

霊に満たされた全員が他国の言語で話し始めました。(使徒言行録2:4)

イエスの信者がこのように御霊に満たされるということが起こったとき、ユダヤ人の祝宴の一つを祝うためにイスラエルの周りの国々からエルサレムに来た何千人もの人々がいました。(これらの国のリストは、使徒言行録2:8-11で読むことができます。)奇跡的に、そこに来ていた訪問者は、イエスの信者がイエス・キリストを通した救いについての良いたよりを彼ら自身の言語で語るのを聞くことができました!

弟子のペトロは、悪行を犯さずに十字架にかけられたイエスが、いかに神の子であるかについて特に感動的なスピーチをしました。彼は、罪からの救いはイエスによってもたらされる、と群衆に語りました。群衆の中の非常に多くの人々がペトロの言ったことに感動し、その日、3,000人以上がイエスをメシアとして、また彼らの救い主として受け入れました!

この日がまさにキリスト教会の始まりです。その場にいた新しい信者が母国に帰り、友人や家族全員にイエスによる救いについて話すことを想像してください!教会が最初に組織されたとき、「道」に従っていた人々の数は、現在中東および地中海ヨーロッパとされている地域全体で急速に膨らみ始めました。使徒言行録の書は、イエスの信者が救いの良いたよりを広めた物語です。

回心と迫害

弟子たちが聖霊に満たされたのはエルサレムであり、またエルサレムこそがイエスについて語ることに抵抗を示す場所であったことを思い出してください。そして、そこはイエスが十字架にかけられた場所です。今や、イエスを殺害したユダヤ人指導者からの迫害が、新しく成長しているイエスの信者グループの注目の的でした。

最も率直な説教者であるステファノは、福音を説教したことで殺された「道」の最初の信者でした。(使徒言行録6:8-15)

最も劇的な回心

カヤパとイエスの模擬裁判をした他の司祭のほかに、イエスの信者をすべて滅ぼすことを生涯の仕事としたようにも思われる別の熱意のあるユダヤ人がもう1人いました。その男の名前はタルソスのサウロと言いました。

サウロは、「道」の信者であるユダヤ人を見つけたらだれでも収監する許可をエルサレムの神殿の祭司たちに要求し、その許可が通ったのでした。

サウロは実際にダマスカスの街に行き、そこでイエスの信者のシナゴーグを探していました。するとそのとき、天からの輝かしい光が彼の周りに閃きました。 彼は地面に倒れ、彼に質問を投げかける声を聞きました。「サウロ、なぜあなたは私を迫害しているのですか?」(使徒言行録9:1-19)

「あなたは誰か?」サウロは尋ねました。サウロと話していたのはイエス自身でした。神は、あらゆる場所にいる異邦人(ユダヤ人ではない者)にイエス・キリストの良いたよりをもたらすためにサウロを選ばれました。

ユダヤ人のキリスト教徒は、サウロが「道」の信者になったと聞いたとき、信じられませんでした!彼にとって最悪の迫害者の一人から最も雄弁な説教者の一人に変わることは、到底信じられないことでした。多くのユダヤ人信者がサウロが実際に回心したと信じられるようになるまでには、長い時間がかかりました。皆、彼が過去にしたことで彼をまだ恐れていました。

サウロが異邦人の間で宣教を始めたとき、彼はローマ式の名前を使用し始めました。それがパウロです。(サウロはユダヤ名です。)

パウロはイエスの福音を広めて非常に長い距離を旅しました。彼の旅については、使徒言行録(第11章25節~第28章)で読むことができます。彼はイエスについての説教と教えのために、自分自身が強い迫害を受けました。彼はローマで逮捕され、投獄されました。パウロは投獄されてから、手紙の多くをヨーロッパ中に散らばっている教会宛てに書きました。それが、新約聖書に集められているものです。パウロの回心のおかげで、教えと励まし、希望と自信をイエスの信者に与える聖書の言葉があります。パウロの手紙を読むことは、イエスに従う人としての生き方を学ぶことです。